つい100年前と比べて,洗濯機,冷蔵庫,テレビ、そして、パソコンにスマホとわれわれの生活は圧倒的に便利になりました。そして、「飢え」の心配をする人の数は大きく減少したと思います。
昔の人から見れば、今の人たちは夢のような幸せな生活を送っているはずです。それなのに、「今、あなたは幸せですか?」と聞かれて、自信を持って「はい、幸せです」と答えられる人はどれほどいるでしょうか?
われわれは空気があることに対して、「ありがたい」と感じません。あることが当たり前になると、その存在を「幸せ」とは思わなくなります。だから、昔よりかなり幸せになったわれわれは昔に比べて「幸せ」を感じにくくなっているのだと思います。下のような2つの場合を比較すると、その違いをわかってもらえるのではないかと思います。
ちょっと胡散臭い話になりますが、これを数学的に考えてみたいと思います。
数学 (微積分が出てきます) が苦手な人のために、先に結論を述べておくと、「幸せ」は相対的なものであるとすると、
・一定の報酬を得続けるだけでは、だんだん幸せを感じにくくなる。
・幸せを感じにくくなると、「モチベーション」も低下する
・幸せを得続けるためには、指数関数的な報酬が求められる
といったことが数学から導くことができるのです。以下、数式部分は読み飛ばしてもOKです。
いきなり「幸せ」の話だとあまりにも抽象的で「胡散臭さ」が強く感じられるので、もう少しわかりやすい「時間」についてまずは考えてみましょう。時間は一定の速さで進んでいるはずなのに、子供の頃の時間の経過は短く感じますよね? という話です。
時間の経過は相対的なもので、自分が今まで暮らしてきた時間に対して、今の時間の経過を相対的に感じると考えると、歳をとればとるほど時間の進みが早く感じられるということが数学的にも説明できるってわけです。確かにそういえばそんな感じかなぁ、と賛同してもらえるのではないでしょうか?
この考え方をそのまま「幸せ」に当てはめてみます。
今まで受け取った報酬の総和に対する今受け取った報酬を幸せとすると(報酬とは何かを定義していないところが胡散臭いのですが)、当然、幸せになればなるほど、同じ報酬に対する「幸せ」は小さくなっていってしまいます。こう考えれば、飢えた時の一杯のご飯の方がうれしいと感じることが説明がつきますし、昔はお祭りの時には相当盛り上がったんだろうなぁと思います。
だから、今は便利になったが故に幸せを感じにくい時代だと言えるでしょう。
「やる気」を「努力」に対して得られる「幸せ」と考えると、これも以下のように定式化できます。
つまり、幸せになるほど幸せを得にくくなり、結果的にモチベーションが下がることになります。我々より上の団塊の世代の人々の「ハングリーさ」は凄いものがあります。一方、今の学生さんは、就活をしようとするときに「自分が何をやりたいのか良くわからない」と言って悩む人が多いです。(もちろん、個人差がかなり大きいので、自分は違う!と感じられる方も多いと思いますが)
さて、大事なのはここからです。このような状況下で変わらぬ幸せを得続けようとすると何が起こるでしょうか?
結局、指数関数的に報酬が大きくなることが必要になります。つまり、われわれは報酬が指数関数的に増大しなければ満たされなくなり、それを科学技術に求めるようになります。
それと歩を合わせるように、科学技術の世界では、実際に、「核」とか「バイオ」などの「指数関数的」つまり、自分で増殖して行く「自己増殖型」の科学技術が力を発揮しています。そして、自律的な人工知能も、自分で賢くなって行くことができるようになれば、賢さがさらなる賢さを生み出す可能性を持っており、一種の自己増殖型の科学技術と考えることができるでしょう。
そして、この「指数関数的」な能力の変化が、研究者自信が「予測不能」に陥り、「制御不能」という「リスク」をもたらす可能性があると考えることができます。
以上をまとめると、以下のようになります。
・科学技術がもたらす「幸せ」は、進めば進むほど感じにくくなる
(対数(log)関数的)
・一定な「幸せ」を得るために、指数関数的な報酬が求められ、実際に、自己増殖型の科学技術が利用され始めている
→ リスクも(指数(exp)関数的)に増大
これらのことが、次の「科学技術の功罪」を考える上で、非常に重要になります。
(このページの内容は、筆者が2008年から7年ほど大学の講義の中で話をしていた内容の一部に基づきます)