<問い>
科学技術がこれだけ進んだのに、どうしてそんなに働かないといけないの?

<答え>
第1次産業の就業人口の割合が大きく減りました(資料)。
第2次産業は微増、そして、第3次産業はかなり増えています。

われわれが生きて行くために必須である食料の確保に必要な第1次産業に従事している人は、かつて全就業人口の半分近くいたのに、人口が増加したにもかかわらず、今や30分の1に過ぎません。つまり、昔はなかった仕事をしている人が増えたということです。

もちろん、豊かになり、いろいろな楽しみが増え、文化的な生活を送れるようになっているでしょう。私もスマホを持って便利な生活を送っています。しかし、ここに音品があります。

資本主義社会では、人より良い生活をするために利益を出す必要があり、そのためには、いかに消費を促すかが重要になります。満ち足りた生活を送るようになると、本来なら消費意欲が落ちてきますが、それでは企業は困ります。そうなると、必要ないものまで「欲しい」と思わせる(洗脳する)ことになります。「あなたの周りは菌だらけ」と言って脅したり、「こぉれぇはうまい!」と言ってビールを飲んでみたくさせたり、アイドルが「これは面白い!」と言ってゲームを買いたい!と思わせるなどして、結果的に必要でないもの、サービスまで買うことになります。

それで、人々が幸せな生活を送れるのであれば、ハッピーです。しかし、そこには大きな問題点があるのです。

1. 必要でないもの、サービスのために、人々の仕事時間が増える

2. ゲームなどにハマってしまう

3. 環境を破壊してしまう

4. 科学技術の進歩が人類の脅威を生み出す

などの問題が出現します。

したがって、やみくもに科学技術を礼賛し、野放しに進歩させる時代は終わったと思います。科学技術は、より一層の効果をもたらすために、(倍々ゲームのような)指数関数的な技術がますます求められます。しかし、そうなると、後ほど述べますが、科学技術の功と罪を比較すると、昔は圧倒的に「功」が優位だったものが、どこかで、逆転するところがあると思います。その臨界点がまさに来ていると思うのです。

さらに、指数関数的な成長をする技術の進歩は、先が読めませんし、大変な害をもたらす可能性があります。福島の原発事故がその警鐘だと思います。だから、「大丈夫」と思っても実際はあっという間に「大丈夫ではない手のつけられない状態」になってしまいます。

こう考えて行くと、もうブレーキを踏まなくてはならない時期に来ていると思っています。原始時代に戻ろうという気はありません。Development のない、Sustanable な状態を模索しようよ ということです。

そのためには、科学技術の危険性に警鐘を鳴らして、人々に気づいてもらうこと、そして、進歩しないことが意外と苦痛なことではないということを実践して示したいと思っています。